第一回国際シンポジウム(第二回研究会)・第二日目

清末不纏足会再考

高嶋 航

報告要旨

纏足解放は近代中国における女性解放運動の幕開けとして描かれてきた。しかし近年欧米では纏足文化の復権ともいうべき研究が主流を占めつつあり、纏足解放の位置づけも自ずと見直しが求められている。たとえば纏足が陋習だと自明視する観点からは、纏足が本当に解放されねばならない陋習だったのかという根本的な疑問は浮かんでこない。また女性解放運動の一端と解釈してしまうことで、纏足解放がこの時期、このような形式で展開されねばならなかった背景、関係者の意図、政治的意義などがほとんど考慮されてこなかった。また纏足解放に関して言えば、欧米と中国の研究にあまり接点がなく、纏足解放の様々な試みもまだまだ十分に跡付けされていない。本報告では以上の問題意識に留意しつつ、不纏足会成立に至るまでの欧米人、中国人による纏足解放の試みを丹念に追ってみた。

欧米人による纏足解放の試みは、初期には女子学校を舞台に展開された。運動の主要な担い手はプロテスタントの(とりわけ女性)宣教師であった。女子学校は1850年代から設立されるようになったが、1860年代になると纏足を明確に禁止する学校が現れはじめる。しかし当時の学生は社会的地位の低い者ばかりで、捨て子もかなりの割合を占めたから、禁止に対する反対も後の時代に比べれば大きくはなかった。その結果、社会的影響もほとんどなかった。1880、90年代には、教会では士大夫の間に影響を及ぼそうという姿勢が強まり、福音から社会福祉に重点が移される。教派の会議で纏足がとりあげられ、纏足反対の会が各地で作られるようになるのもこの頃である。1890年代半ばまでの教会主導による纏足解放運動は、キリスト教徒のみを対象としたものであり、社会的影響は依然少なかった。それでも一部の中国人知識人たち、康有為、鄭観応らは欧米人の運動の影響を受けて纏足に反対する態度をとっていた。しかしまだ個人的な試みに止まり、社会的運動にはならなかった。

中国人によっても纏足反対の試みは行われていたが、実際の行動には結びつかなかった。太平天国における纏足禁止は有名ではあるが、清末の纏足解放論者はそれを纏足の解放者としてではなく迫害者として記憶していた。1883年に康有為が創ったとされる不裹足会は纏足解放運動の嚆矢とされるが、友人間の約束以上のものではなく、後世の不纏足会のような組織ではなかったと推測される。個人的に纏足に反対するものも各地にいたが、局地的な活動に終始していた。こうした状況に転機が訪れた。天足会の創設である。

天足会は1895年4月にイギリス人リトル夫人(Alicia Little)ら欧米人女性を中心に組織された。従来の教会の運動とは一線を画し、キリスト教徒であるか否かを問わず、中国の纏足女性全てを対象とした。活動内容は政府高官への働きかけ、印刷物の出版、講演会の開催、新聞への投稿などであった。従来の「大足」に代わって「天足」という言葉を作り、纏足解放後の女性の理想像を提示した点は天足会の大きな貢献であった。天足会の直接的影響のもと、中国人による戒纏足会が誕生し、これが不纏足会の起源となる。梁啓超は不纏足会の起源を論じた際に、四川や広東で中国人が組織した戒纏足会を取り上げるが、それが天足会の影響によったものであるとは一言も述べない。後世の研究者たちも不纏足会における天足会の影響に気づかないが、事実は違う。

不纏足会は1897年6月に上海で設立した。従来の戒纏足会、天足会とはあえて異なる名称を使用した点に意気込みを感じることができよう。実際、同会は短期間のうちに急成長を遂げ、全国の知識人の間に大きな影響を与えた。この時期、不纏足会という形で纏足解放運動が展開した原因はいくつか考えられる。纏足は日清戦争の敗北や瓜分の危機という国家の非常事態をもたらした要因とされ、知識人が公に取り組むべき課題となった。また戊戌維新期に結社の禁令が事実上ゆるみ、不纏足会という形で公開活動が可能になった。新聞・雑誌などメディアの急速な発展は全国的な組織の運営を可能にした。従来教会の枠に収まっていた欧米人の纏足解放運動が天足会の設立でその枠を抜け出したことも大きな契機であった。極めて政治的な運動と連動して纏足解放運動が展開されたことは、運動の発展をもたらしたが、またそれは政治的原因によりあっけなく挫折するという「もろさ」をも併せ持っていた。それは欧米人による「文明化」「キリスト教化」「近代化」としての纏足解放運動と比較した際に際立つ特徴である。それは欧米人による運動に大きな影響を受けてはいるものの、断絶面も多い。不纏足会のさらなる位置づけ、とりわけ戊戌政変以降の纏足解放運動との関係については今後の課題とする。

討論内容

(上記 発表要旨につきましては、後日発行のニューズレターにも掲載されます)

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