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グローバル化時代の多元的人文学の拠点形成

NEWS LETTER

(文学と言語を通してみたグローバル化の歴史)


No.7

2004年12月28日発行

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(主な内容)
COE34研究会2005年の活動予定
第8回研究会の発表要旨
 他

<COE34研究会2005年の活動予定>

 2004年も、多くの方々の協力の下、いくつかの活動を進めることが出来た。 定例の研究会が3回もたれ、毎回20名ほどの参加者を得、各分野の者が発表をし、質疑応答を重ねることで充実した研究会となった。 また、国際シンポジウムや講演会を開催し、講師を呼んで学びを深める機会も持った。

・国際シンポジウムColin Austin 教授特別講演会
2004.6.1 15:00-17:00  於:京大会館
出席者:講演会 41名、懇親会 43名
講師:C. F. L. Austin (ケンブリッジ大学古典学部教授)
演題:Greek Comedy: how it all started.

・Rene DEPESTRE 講演会
2004.6.3 16:30-18:30(木) 於:文学部新館1講義室
出席者 20名
講師:ルネ・ドゥペストル (ハイチの作家・詩人)
演題:「トゥーサン・ルーヴェルチュールからエメ・セゼールまで」




<第8回研究会の発表要旨>

武田良材:個人主義者の闘い ―ケステンの描く反ナチス闘争―

   ヘルマン・ケステン(Hermann Kesten, 1900―1996)は、ヴァイマル共和国時代から、新即物主義の作家として、さらには文学書の編集者として活躍した人物である。 亡命ドイツ人としては、世界中で翻訳された長編小説『ゲルニカの子供たち』(1939)の著者として知られ、また、オランダの出版社のドイツ文学部門の責任者などの立場から、亡命文学者たちを救ったことでも知られている。 二足のわらじを履き続けた経歴にふさわしく、ケステンは文学と政治の結びつきを必須と考えていた。
   オーストリア=ハンガリー帝国のガリチア地方、生前に五度も支配国の移り変わった小都市に生まれたケステンは、個人主義者かつ、朝から晩までカフェで仕事し、世界のどこにいてもカフェをわが家とする世界市民であった。 そうしたケステンは、利己主義の徹底は利他主義に通ずるという考えから、優れた個人主義者としてのモラリストを追究した。他者の幸福のために行動する個人主義者、つまりモラリストを描くことがケステン文学の根幹をなしている。 彼は「人間を善くするために書く」と、繰り返し語っている。
   長編小説『ニュルンベルクの双子』(1947)は、アメリカでは好評であったものの、ヨーロッパでは無視され、2003年まで再刊されることのなかった不遇の大作である。 けれども、二つの世界大戦の敗戦直後から敗戦直後までを描いたこの作品は、ナチス対モラリストの闘いを主題としている点で、極めて重要と言える。
   ナチスの高官を父とする一家と亡命作家を父とする一家、政治的立場は正反対だが、それぞれの母どうし、息子どうしは双子であるがゆえにそっくりの二家庭を描いた作品で、 後者の母で、モラリストのウーリが、実の子ではない彼女の息子ばかりか、SSの少佐になった前者の息子までも反ナチス闘争の闘士へと導いてゆくというかたちで、 善の勝利が描かれる。ケステンの魅力は、人間を善くしようとする姿勢に揺らぎが見られないことである。ウーリはあまりにも素朴に理想的に描かれていて、 その点について、組織的な活動を軽視するケステンの限界が表れているという批判も可能だが、素朴であるがゆえに普遍的な、人間のあるべき姿が描かれていると評価すべきだろう。


丹下和彦:アブデラ人気質−エウリピデス「アンドロメダ」を巡って−

   エウリピデス「アンドロメダ」はその上演(前412年)後1年して早くもアリストパネス「女だけの祭り」(前411年)に引用された。ただしそれは女装がバレたムネシロコスが女性たちの追及を免れるという、いわば危地脱出の手段に「アンドロメダ」の趣向(ペルセウスによるアンドロメダ救出)が採用されただけの話である。
   6年後、やはりアリストパネスが「蛙」(前405年)でこの作品に言及する。デイオニュソスが「アンドロメダ」を読んでいると、突然作者エウリピデスに会いたい気持ちが起こったというのである。 その前年(前406年)にアテナイ演劇界はソポクレス、エウリピデスの両巨匠を相次いで失っていた。デイオニュソスは、アイスキュロスも含めた巨匠らのうち誰か一人を地上に連れかえろうと、冥界へ降りて行く。 そのきっかけとなったのがこのエウリピデスの「アンドロメダ」であった。そこまでアリストパネスの気持ちを駆り立てるには作品自体になにかその理由となるものがあったはずであるが、それが具体的に何であったかには触れられていない。
   それから100年ほどのちのこと、トラキアのアブデラで「アンドロメダ」が再演され、市民らに熱狂的に受けたという報告がある(ルキアノス「歴史はいかに記述すべきか」)。市民らは作中の1節、ペルセウスの唄う”おお、あなた、神々と人間の王、エロスよ”以下(ナウク断片136)を朗唱しつつ市内を練り歩き、 それが真夏から寒風肌を刺す頃まで続いたという。報告者ルキアノスは、このブームの原因を俳優アルケラオスの演技力に求めている。
   「アンドロメダ」はさらに時間を経た18世紀に甦る。イギリスの作家ローレンス・スターンがその「感傷旅行」(1768年)の中でルキアノスの報告にあるあのエピソードを取り上げ、あのペルセウスのせりふ(断片136)に詩人が込めた”自然の優しき鼓動 the tender strokes of nature”こそが、観客の興奮を呼び覚ましたのであるとした。 詩人の技量こそが熱狂の原因の第一としたのである。同時代のドイツの作家ヴィーラントはこれを読み、さらに彼はその小説「アブデラ人物語」(1781年)で同様にこのエピソードを扱い(但し彼の場合、アブデラでの「アンドロメダ」上演は俳優アルケラオスによるものではなく、約100年前作者エウリピデス自らがアブデラに赴いて上演したという設定になっている)、 結局はアブデラ人の熱狂ぶりの原因を俳優の演技や作者の芸術的才能ではなく、もちろんそれも加味された上でのことであろうが、むしろ受容するアブデラの市民たちのある種の”おめでたさ”(アブデラ人気質)に求めている。 そしてこのアブデラ人気質は、善良なる市民なら誰しも、おそらく古今東西を問わず、持ち合わせているものであると喝破したのである。
   これは示唆的である。一般に文芸作品の受容には、作品のもつ力と、演劇の場合は、俳優の演技力と、それに受容する側の受容能力(それは理性的な解釈のみではなく、時として無批判な陶酔)が伴わなければならないのであると言わんが如きである。 悲劇作品(アテナイ文化)が古代世界に伝播拡散していく場合(ある意味でのグローバル化)も、また古典として近代現代に受容される場合も、そこにアブデラ人気質あってこそそれは可能なのである。 そもそも受容という行為の根底には、まず何よりもアブデラ人的おめでたさ(無批判な熱狂)がたっぷりとなければならないはずなのである。もちろん常日頃眠っている”アブデラ人気質”を覚醒させるのはやはり作品の力であり、 また演劇作品の場合にはそれに俳優の演技力も加わっての総合力であることは、論をまたない。そこにはおそらく相互補完的な力の作用があって、それが”熱狂”を創り出すのであろう。 そしてこの熱狂が作品の受容と伝播のエネルギーとなるのであろう。


<活動状況>
 ◎第8回研究会 2004年10月28日(木)14時半から18時 所:文学部東館4階会議室
  出席者:小林寛、高橋宏幸、丹下和彦、中務哲郎、西井奨、広川直幸、藤井琢磨、船曳真司、堀川宏、マルティン・チエシュコ、山下修一。 田口紀子、増田真。池田晋也、川島隆、佐々木茂人、武田良材、西村雅樹、松村朋彦。天野恵。
下記の研究発表に続いて質疑応答と討論を行った.
 [研究発表]
 ・武田良材(独文博士課程):個人主義者の闘い −ケステンの描く反ナチス闘争−
 ・丹下和彦(関西外国語大学教授):アブデラ人気質−エウリピデス「アンドロメダ」を巡って−

<今後の予定>
 ◎第9回COE研究会
 2005年1月26日(水)午後2時半から5時 COE会議室(東館4階北東角)
 ・伊藤玄吾:ルネッサンス 古典学者と東洋学者の勝利と悲劇 −エラスムスとギヨーム・ポステル−
 ・内田健一:19世紀末から20世紀初頭における文学作品の国際的流通