京都大学大学院文学研究科21世紀COE 「グローバル化時代の多元的人文学の拠点形成」

王権とモニュメント


シンポジウムポスター

シンポジウム

「皇太后の山寺−山科安祥寺創建の背景をさぐる−」


開催の趣旨

山科盆地の北端、現在の京都市山科区御陵の地に、平安時代のはじめ(9世紀中頃)に建った寺がありました。仁明天皇の女御で、文徳天皇の母となった藤原順子(809-871)を願主、入唐僧恵運(798-871)を開基とする安祥寺です。安祥寺は、醍醐寺と同様、下寺と上寺とからなります。下寺は場所を移しながらも現在まで法灯を伝え、いまの平林町、京都府立洛東高等学校の西に境内を構えています。一方、上寺は室町時代に廃絶しましたが、安祥寺山国有林の中に、きわめて良好な状態で建物の基壇や礎石が残っています。残されたのは上寺の遺構だけではありません。貞観9(867)年に、開基恵運がみずから編んだ『安祥寺資財帳』の写本や、それに記載された五大虚空蔵が東寺に伝来し、下寺が伝えた五智如来像や盤龍石柱は、現在、京都国立博物館で展示され、とくに五智如来像は平安時代前期の基準的作例となっています。これ以外にも、未調査の古い仏像群が下寺にありました。  また、盤龍石柱が『資財帳』の「仏頂尊勝陀羅尼石幢」に相当するならば、恵運の友人で、やはり入唐僧の恵萼が唐から将来したものです。円仁が唐国内を旅行したとき、恵萼の消息を記しているので、平安時代前期の国際交流を背景に安祥寺が成立したことがわかります。『資財帳』によれば、恵運は遣唐使船ではなく商人船で渡唐しています。つまり、安祥寺は、不明な点が多い平安前期の仏教史・東アジア交流史・彫刻史や山林寺院の実態について、文献史・考古学・美術史・建築史の各分野が協力して解明すべき絶好のフィールドを提供しています。京都大学大学院文学研究科21世紀COEプログラム『グローバル化時代の多元的人文学の拠点形成』(代表:紀平英作)の14研究会「王権とモニュメント」は、安祥寺を多面的に研究し、多くの成果を挙げました(安祥寺の調査研究)。今回、シンポジウムを通じて、広く京都市民にも、本研究の成果と安祥寺の重要性を知っていただきたいと願っています。

日時

平成17年11月20日(日) 終了 →シンポジウム記録

会場

京都市醍醐交流会館(パセオ・ダイゴロー西館2階)京都市伏見区醍醐高畑町30−1 TEL:075-575-2580
  定員200名 参加無料 ※当日先着順受付

交通

京都市営地下鉄東西線「醍醐駅」2階
  京阪バス「醍醐駅」下車

〔事例報告1〕

「安祥寺上寺跡−測量調査の成果−」 講師:梶川敏夫氏(京都市埋蔵文化財調査センター副所長)

〔基調講演1〕

「安祥寺開祖恵運の渡海−9世紀の東アジア交流−」 講師:田中俊明氏(滋賀県立大学教授)

〔事例報告2〕

「安祥寺の仏像彫刻−新発見の下寺仏像を中心に−」 講師:根立研介氏(京都大学教授)

〔基調講演2〕

「宮廷女性の仏教信仰−御願寺建立の史的意義−」 講師;本郷真紹氏(立命館大学教授)

〔事例報告3〕

「安祥寺資財帳の新校訂」 講師:鎌田元一氏(京都大学教授)

〔全体討議〕

「皇太后の山寺−山科安祥寺創建の背景をさぐる−」

パネラー:梶川敏夫氏・田中俊明氏・根立研介氏・本郷真紹氏・鎌田元一氏
  司会:上原真人氏(京都大学教授)