トップ 内容紹介 研究班一覧 成果報告 シンポジウム記録 来訪者 学位取得者 おしらせ
目次 << 基調講演 シンポジウム1 シンポジウム2 シンポジウム3 シンポジウム4 討議
国際シンポジウム「「自然という文化」の射程」

―基調講演―
自然という「文化」

オギュスタン・ベルク

 片柳 それでは、今回の国際シンポジウムの趣旨説明と基調講演者の紹介をいたします。

 「自然という文化」の射程という主題のもとにシンポジウムをこれから開こうとしておりますが、主題について最初に少しご説明しておきます。

 自然という文化という表現自体少しわかりにくいかと思いますが、それは我々が通常自然を文化と対立するものとして考えているからです。自然とは人の手を経ない人工的でないものであり、文化はこれに対して、人間が自然に対立しながらつくり上げてきたもの、そのように通常、我々は自然と文化を対立するものとして考えます。

 しかし、よく考えてみますと、人の手による人為の及ばない自然を問題にすること自体、人間がしていることであります。とりわけ日本は、そのような人為によらない自然を大切にする文化を形成してきたと言えます。自然という抽象的、包括的な言葉も、かなり文化が進んだ段階でそれぞれのところでつくられたものであります。自然をどう見るか、自然がどう見えるかということ、そのこと自身が文化によって規定されています。今日、自然や環境の破壊、汚染が大きな問題になっていますが、それは単に人間の外なるものとしての自然の問題ではなく、そのような自然を生きている我々の問題であり、我々の文化・文明の問題であり、混乱であり、危機なのです。

 「自然という文化」という表現でまず求められるのは、自然という言葉を語り、考えるとき、それ自身文化の中で考えていることを自覚することであり、自然を自然としてあらわさしめている文化を自覚的に問題とすることです。このように自然という問題を人間とは切り離された、人間の外にある対象としてでなく、根本的に人間の在り方そのものに関わる問題として、あるいは人間の在り方そのものから出てきた問題としてとらえ直し、現代の混迷と危機に対する新たな視点を切り開く端緒とするということが我々の課題であり、このシンポジウムの主題であります。

 自然と人間の問題が取り上げられるときよく引用されるソフォクレスの「アンティゴネ」の一節に「多くの「恐るべきもの」(デイノス)があるが、人間以上に恐るべきものはない」という言葉がありますが、「自然という文化」という主題の隠れた中心の問題は、この恐るべきもの―あるいは或る人は無気味なものとも訳していますが―そのデイノス、恐るべきものとしての人間であり、無気味なものとしての人間の、自然の中での位置であります。マックス・シェーラー流に言えば「宇宙における人間の位置」とでも言うべきものが最終的には問われることになります。

 こうした問題を主題とする本日のシンポジウムにフランスからオギュスタン・ベルク氏を招くことができましたことは幸いなことだと思っております。氏は、こうした問題に関する国際的に著名な、まさしく第一人者だからです。ベルク氏は一貫して自然の問題を人間存在の基本的在り方の問題として追求してこられ、また、こうした見方の先駆者として和辻哲郎の『風土』を高く評価しておられます。日本の文化にも幅広く深く通暁しておられます。

 氏は、1942年に生まれ、パリ大学で地理学を修め、博士号を取得しておられます。1969年に最初に日本を訪れて以来、日本滞在が通算で15年以上に及ぶということです。西洋文明を取り入れた近代日本と自然の問題をヨーロッパ人の視点から深く掘り下げて論及しておられます。

 主な著書として、『空間の日本文化』1982年、『風土の日本』1988年、『風土としての地球』1994年、『地球と存在の哲学』1996年、『風土学序説』2002年などがあります。特に最後に挙げた『風土学序説』はベルク氏のこれまでの業績を集大成したものであります。氏がこれまで追求してこられた、人間によって生きられた風土としての自然の問題を、宇宙と生命と風土という三つの基盤から考え直し、この三つの基盤が層をなして連続的に条件づけ―これは決定するということではありませんが―しかも非連続的に超越される関係を、氏独自の概念「通態性」―「トラジェクティヴィテ」(trajectivité)―という言葉を用いて解明しておられます。こうして、自然と人間を対立するものとしてしかとらえてこなかった、これまでの近代的思考を越える、新たな洞察を開こうとしておられます。これは私の個人的な印象かもしれませんが、この著者の姿勢に、ソフトなパスカリアンという印象を私は持ちます。

 人間を自然から締め出した近代を一方で批判する一方、氏はまた、近代の超克を標榜する最近のポストモダンの基本的傾向をも批判します。ここでいうポストモダンとは、「記号の恣意性」という考えに代表されるように、人間がその象徴システムによって自然から切り離され浮遊しているとする思想です。このような思想を持つ人を、ベルク氏は人間の基盤を無視するという意味で、「超えていく者」―「メタバシスト」―と名づけて批判しています。そうではなく、人間の自然への依存性、連続性を認めながら、その依存性の中で人間が住む自然や、エクメーネとしての風土性、さらには風物身体をもつくり出す、そのような人間の独自性を追求するベルク氏の基本姿勢は、人間を考える葦と規定したブレーズ・パスカルの思想に親近なものがあると思われます。これは私の感想です。つまり氏の立場は、人間は自然の中で最も弱い、自然に依存した葦でありながら、考えることにおいて、しかも自らの有限性を深く自覚するという意味で「考える」ということにおいて、独自の尊厳を持つとしたブレーズ・パスカルの思想をおもいおこさせるのです。そうした深い人間と自然に対する洞察に基づいたベルク氏の思想の一端を、これからお聞きしたいと思います。

 ベルク ご丁寧な紹介ありがとうございました。

 始めに、京都大学文学研究科に招待していただいたことに対して、感謝の念を表したいと思います。

 「自然という文化」の射程というのは確かにすばらしい題ですが、それをフランス語に訳すためには、かなり努力しなければならなかったのは事実です。幸いにも、ここにおられる京都大学の杉村靖彦先生に助けていただいて、フランス語訳を作っていただきました。

 私は、ここにおられます先生方と違いまして、哲学者ではありません。文化地理学をやっておる者です。地理学とは人間と大地の関係をテーマにしている学問ですから、文化と自然の問題にぶつかるのは当然のことです。けれども、地理学は長い間、自然や文化といった概念を余り使ってこなかったと言わざるをえません。むしろ、それらをよく使っていたのは文化人類学です。

 私がこのような問題に目覚めたのは、やはり日本に来てからです。最初に日本に来たときに―1969年でしたけれども―ある日、そのころ東京大学で教えておられた小堀巌先生を訪れまして、「日本文化を理解するためには何を読めばいいか」とお聞きすると、「やっぱり和辻哲郎の『風土』を読みなさい」と言われました。あのころ私は、まだ日本語をよく読めなかったので、英文の訳を貸していただきました。とはいえ、残念ながら、その英語訳を読んでも全然理解できなかったのは事実です。伝統的な決定論というように捉えてしまったのです。これは完全な誤読でした。よりよく理解するためには―当たり前のことですが―日本語の原文を読まなければならなかったのです。実際に読んだのは、数年たってからのことですけれども。

 さて、そのころ私は北海道におりました。北海道の開拓についての博士論文を準備していたのです。その論文のテーマは、北海道という異なった環境に移ることで、日本社会、特に農民はどういうふうに変わったかという問題でした。この問題は、後から振り返ると、「新しい風土の生まれ」というふうに定義できると思いますけれども、あのころ私はまだそのような概念を使っていませんでした。

 それで、四年間北海道にいまして、風土性の問題だと現在では理解している問題に少しずつ目覚めていきました。言うまでもなく、開拓というのは歴史的な過程なので、私は、北海道の歴史についての本を多く読まなければなりませんでした。例えば、開拓者の生活などについての本です。その中に、次のような引用がありました。ある農民の言い方ですけれども、「死ぬまでに米を腹いっぱい食いたい」と。最初のころ、開拓者は米をつくることができなかったのです。北海道の大地に水田は向いていなかったのです。「米を腹いっぱい」というのは自分の体で感じている身体の問題を表す言葉です。文字通り、腹の底から出てきた表現なのです。しかしそれは同時に、やはり典型的な地理学の問題でもあります。稲作が、北海道の気候、土地には向いていないということは、最初から明らかだったのです。それにもかかわらず、移民した農民がどういうふうにその新しい土地を感じ、理解していたかというと、そこでできれば稲をつくりたい、稲作をしたいと考えていたのです。それで、いろいろな努力をして、いろんな技術改善を行った結果、半世紀の間に新しい風土が生まれました。昭和10年ごろになりますと、稲作は根室あたりまで到達したわけです。

 結局、最初に日本政府開拓使や日本政府に招聘された外国の顧問、例えばホーレス・ケープンというような人たちがイメージしていたのとは全然違う新しい風土が生まれました。最初にアメリカから来た顧問たちは、「北海道の気候は、馬鈴薯や麦の栽培、ないしは酪農に向いている、稲作は全然だめだ、考えられない」と思っていました。しかし結局、北海道に生まれたのは、稲作を中心とする農業でした。

 顧みると、以上のことは、典型的な風土現象です。というのは、まず、ある環境があって、これは―アイヌ文化は確かに存在していましたが―自然そのものですね、その自然環境が、開拓者にとって、どのような大地であったか、どのような土地であったか、が問題なのです。それは自分の目で見て、自分の体で感じ、自分の手でその中で働く新しい条件ですね。なれていない条件。これが移民にとっての現実だったのです。それに対して、アメリカの専門家にとっての現実は全然違いました。彼らは日本の近代化という目的を念頭におけば、北海道には、やはりアメリカ風の農業が向いていると考え、それを実現する政策をとろうとしたわけです。しかしながら、結果は―もちろん日本の伝統的な農業がそのまま再生産されたわけではなくて、ある程度変化したのですけれども―日本農業の中心であった稲作が、北海道でも中心になったのです。

 後になって、この現象を振り返ると、それは人間がどういうふうに自然を捉えるかという基本的な問題の一つの現われといえます。人間にとって大地とは何か、あるいは人間にとって地球とは何か、その与えられた自然条件はどのようなものとして捉えているかというのが基本的な問題です。そしてこの「捉えられたもの」は私に言わせれば、風土そのものです。つまり、風土とは、和辻哲郎が主張していますように、環境ではなく、むしろ人間と環境との或る関係です。ですから、環境をどのようなものとして捉えているかが、基本的な問題となるのです。

 上の例で申し上げますと、移民した農民にとっては、北海道の大地は稲作をするべき場所として、存在していたわけです。逆に、アメリカから来た専門家にとっては、そこは馬鈴薯などを植えるべき場所として存在していたのです。この「として」というのが、重要なポイントです。彼らは北海道の大地を各々の仕方で、一定のもの「として」捉えていたのです。

 このような、地球を何かとしてとらえる働きというのは、やはり私の目には風土性の基本的な働きであると映ります。後になって、これは、和辻哲郎の哲学だけではなくて、西田哲学にも関連することに気がつきました。西田哲学においては、世界は述語として働いている。述語の論理のように世界性はある。これは哲学者でないと非常にわかりにくい表現ですね。「世界は述語である」と。けれども、私はその表現を、地理学の研究を進めるうちに再発見したのです。だから、私にとっては、「世界性は述語性である」という表現の意味は非常に明瞭だと申せます。具体的に言うと、人間にとって、世界が―もとは地球ですね、世界の基本は地球ですから―地球がどういうふうに存在するかという問題は、人間によって地球がどういうふうに述語化されるか、という問題として捉え直されるべきなのです。そしてその場合の述語とは世界そのものである。私はそういうように理解しています。このような意味は、純粋な西田哲学にはない―もとは風土的な捉え方ですね。人類による地球の捉え方とは、私は、基本的に述語化であるというふうに理解しています。述語化するとは、あるものが何かである―例えば、ソクラテスは人間である―と考えることだと思いますが、やはりこれはソクラテスという存在を人間として捉えることにほかならないわけです。

 「述語化」というのは、主語・述語の「述語」のことですから、それはもともと文法ないし、言語の問題、さらにいえば論理学の表現形式の問題にかかわる言葉です。けれども、もっと一般的に考えますと、或る存在を何かとして捉えるという基本的な問題にかかわっている言葉ともいえます。地理学者にとっては、或る存在とは地球です。あるいは大地といってもいいでしょう。「何かとして捉える」という働きは、風土をつくり出す働きです。この働きとは、ただ頭や言葉だけの働きではないのです。我々は、地球、大地、または自然といったものを、最初は体で感じます。その感じ方が基本です。人間もたしかに動物の一種ですが、その感じ方においては、ほかの動物とはある程度違うところがあります。人類独特の感じ方があるわけです。

 簡単な例として、青、赤といった色のとらえ方を考えて見ましょう。ご存じのように、色はそのまま物体に存在するものではありません。目と物体の間の働きにおいて色が出てくるわけです。色の見え方は、それぞれの動物の種によって違います。例えば、人類の色の見方は、牛のそれとは違うというのはよく知られています。そして、私たち人間が、赤色を見ているというのは、全く無意識の働きです。それは、身体そのもののレベルにおいて、意識とは関係なく働く働きなのです。我々人類という種にそなわった働きともいえます。まだ自然に属している段階、働きです。

 もう少し意識されたレベルとしては、言語のレベルというものがあります。これは半分は意識され、半分は無意識です。例えば、日本語で「赤」と言う時、私はその言葉を意識して用いていますけれども、「赤」という言葉が日本語の語彙に存在するのは、むしろ共同的な無意識に属する事実なんです。それは、個人的に決められる事柄ではないのですから。けれども、それを使う個人は、やはり無意識から意識へと向う働きを行っているのも確かです。あるいはもっと意識されたレベル、例えばあるデザイナーがどこに何色を使うべきかという問題に直面し、意識的に赤を選ぶような場合もあります。これなどは完全な意識的現象です。

 これ一つの例にすぎませんけれども、自然と文化の共同の働きがよく見えます。すべての風土現象も同じなんです。風土現象においては、自然と文化を分離することは全くできません。それらが一体化された一つの現象なのです。

以上のことを、「述語化」という概念を用いて改めて考えて見ます。まず「感じる」という存在の捉え方は、「述語化」の最初の段階とみなすことができます。つぎに、もう少しより意識化された、述語化の第二段階として、人が話す、すなわち意識的に何かを言おうとする言語のレベルがあるといえます。つまり述語化には、さしあたって、「感じる」と「言う」という、二つのレベル・側面があるわけです。またこれら以外にも、例えば「考える」という述語化のレベルも考えられます。

「言う」と「考える」はどちらが先かというのは古くからある哲学的な問題ですけれど、やはり本当に思索するためには言葉が必要ですね。まず言葉がなければならないのです。でも、別の捉え方をすれば、例えば、「深く想いをいたす」というのは、やはり言葉より先の働きではないかと思われます。感覚に通じるのですから。すると―実際はっきり区別できるわけではありませんが―「感じる」「言う」「考える」さらには―ここでは、もう十分触れる時間がありませんが―「やる・する・行為する」という四つの段落が区別できるでしょう。現実には、その四つの面が一体になって働いており、それらを別々にすることはできません。また、この四つの面は、我々にとっての現実をつくり出す過程であるともいえます。ちなみに、現実とは物体や客体そのものではありません。本当の現実は、物体・客体そのものだという考え方がいまでは一般的になっていますが、これは近代に特有の、特殊な考え方です。

 この近代的意味での「現実」を一つの文字で表現しますと、「R」となります。英語で言えば、the Realです。このRは、客観的に存在している、客体の事実、ないし現実を表します。客観的に存在しているとは、我々の存在とは関係なく、それ自身として存在しているという意味です。これが近代の典型的な現実の見方です。先ほど触れた西田哲学における主語・述語の関係と関連づけていえば、「R」は「S」に当たるわけです。「S」とはサブジェクト、つまり主語ですね。R=Sという関係が近代の世界観の基本です。けれども、風土的視点では、Rは我々にとって存在し得ないものと見なされます。想定することはできますけれども、現実には存在しないのです。現実は必ず相対化されています。現実とは相対的な存在なのです。

 先ほどの北海道の例に戻りましょう。北海道の大地は、移民たちによって「何物かとして」捉えられたのです。その何物かとして捉えられるとは、「述語化された何物かとして存在する」ということです。何物かとして感覚され、言われ、考えられ、働きかけられたわけですね。農民の働きによって、新しい風土が生まれたという、広い意味での述語化の作用の結果として、北海道の現実が生じました。このように、風土的な考え方においては、Rは存在しないのです。Rとは、或る種の絶対者です。人間的な現実においては、そのような絶対者は存在しないのです。存在するのは小文字のリアリティ、言いかえると相対的な「r」です。それに対してRは絶対的です。西田風に言いますと、rはSすなわち、主語そのものではないのです。rとは、ある関係においての主語です。その関係とは述語化という関係です。ここでは、「S/P」として表しておきましょう。別な言い方をすれば、rとはPとしてとらえられたSとも言えます。

 以上お話ししたことを「自然という文化」という題に即して表現しますと、自然は何物かとして捉えられていることになります。何物かとして述語化されています。その述語化を行っているものはもちろん人間です。人間はどういうレベルでそのような働きをなすかというと、複数のレベルにおいてなのです。

 先ほどの色の例をもう一度取り上げますと、我々は人類として身体のレベルで赤とか青とかを区別しています。これは完全に動物的なレベルです。完全に無意識的です。もう少し意識された文化というレベルにおいては、例えば日本語・フランス語・英語などのような言語というフィルターを通じて、「赤」「ルージュ(rouge)」「レッド(red)」というように述語化されています。また、さらにもっと意識化されたレベルにおいては、例えば先ほどのデザイナーのケースが出てくるわけです。あるいはランボーという詩人の有名な「母音」という詩もまた、このレベルにあるものかもしれません。フランス語には「ア(A)」「ウ(E)」「イ(I)」「オ(O)」「ウィ(U)」という母音があるのですけれども、ランボーはその詩で各母音に色をつけています。ランボーの感覚では、アは黒なのですね。この詩は確かに意識のレベルにあるといえるのですが、詩人ですから何かもっと深いレベルの述語化を表しているのかもしれません。この問題を論じる研究は数多くあります。しかし、少なくとも、ランボーのこの詩は、フランス語という文化の典型的な一例として、個人的な意識のレベルの述語化を表していることは確かでしょう。

 別の問題をあげましょう。私が今お話しをしている、この部屋にある非常口のランプの色は緑です。緑とか青とかいうのは、日本語における色の呼び方です。一方、そのような色のとらえ方は、すべての人間において基本的に同じですが、微妙なニュアンスの違いがあります。例えば交通信号を考えて見ましょう。日本語では「緑」信号と言わず、「青」信号と言いますね。フランス語では「緑」信号と言います。これはただ言葉の違いだけではなくて、実際、パリの信号と京都あるいは東京の信号は少し色が違います。日本の信号は確かに少し青っぽい。もちろん日本人もフランス人も同じように青や緑などの色の区別をしているけれども、やっぱり文化というフィルターがあって、一方は「青」信号、他方では「緑」信号という違いが生じます。これは非常におもしろい研究テーマです。ちなみに中国語にも、もちろん青という色のカテゴリーはあるのですけれども、中国の信号は緑信号です。やっぱり私の見た感じでは中国の信号の色は多少緑がかっているようです。

 このような事象は、すべて述語化の一部です。述語化は、無意識のレベル、意識されたレベルなど、いろいろなレベルで行われています。そしてそれぞれのレベルにおいて、自然と文化が相互に作用しあっているわけです。

 先ほどの赤の感覚・知覚の例をもう一度使いましょう。色の見え方は―先ほど申しましたように―体で決められていますので、無意識のレベルにあります。より上のレベルから見れば、色の見え方は一つの自然現象として存在している、与えられた現実です。しかし、この与えられた現実は、その上のレベル、すなわち文化のレベルにおいて、一定の仕方で述語化されます。例えば「赤」は、すべての人間にとって「赤」なのですけれども、もう少し上の文化のレベルで、それぞれの言語を通じていろいろな存在のあり方をするようになります。この文化的・言語的レベルとは、また、より意識的なレベルでもあります。別の見方も可能でしょうが、私はヨーロッパ人ですから、一応意識のほうを上に、無意識のほうを下にしておきます。

 この与えられた現実が、文化にとってS、すなわち主語・主体、英語で言えばサブジェクトとして存在しています。ここで、サブジェクトという言葉の由来・語源を考えてみましょう。サブジェクトはラテン語スブイェクトゥム(subjectum)から来ています。スブイェクトゥムとは、「下に置かれた、下に出された」という意味です。さらに、そのラテン語自体が、ギリシャ語の訳語です。元のギリシャ語はヒュポケイメノン(hypokeimenon)で、大体「基盤」を意味します。つまりギリシャ語もラテン語も「基盤・基底・下にある」という意味です。

 サブジェクトに関連するものとして、「サブスタンス」「実体」という語があります。これはラテン語で言うとスブスタンチア(substantia)です。これもやはり「下に立っている・下にある」という意味です。ギリシャの哲学者は、アリストテレスに代表されるように、主語と実在は同じだ、実在は主語だと考え、述語は実は本当の意味では存在しないと考えていたのです。

 この「下にあるもの」を、先程らいSというふうに表現しています。いま赤という感覚をSとすると、文化のレベルで、再度述語化されます。その際、「赤」「レッド」「ルージュ」等々の言葉がつけ加わるわけです。そのことによって、より上のレベルで、現実として存在するようになるわけです。例えば、「これは赤だ」あるいは「それは緑だ」と日本語で言いますと、その言われた事態は、日本の風土における一つの現実として存在することになりますが、この文化のレベルは日本独特のもので、フランスの文化において、同じ仕方で存在するとは限りません。それはフランスという文化の枠の中では、ルージュないしベール(vert)として存在します。しかし、言葉は違っても、それらはやはり自然から少し離れた文化のレベルの現実であるという点では同じです。

 先ほどのランボーの詩の例を再び引きますと、ランボーにとってはフランス語の色のカテゴリーであるルージュ、ベール、ジョーヌ(jaune)等々という名前が、与えられた主体であって、それらを彼が意識して、もう一度また別のレベルで述語化したわけです。このように、もう一度述語化することによって、彼個人にとっての新しい現実が出現したわけです。

 こういうふうに見ますと、三つのレベルしかないように思えますが、これらは現実のごく限られた一面にすぎません。というのも、このあと触れますように、より深い下のレベルでは、このような述語化が何回もくりかえされていると考えることもできるからです。

 以上述べてきたことを整理してみましょう。上の方、即ち意識のレベルにおいては個人としての人間の意識が、世界を独自の仕方で捉えています。言いかえると、一定の仕方で述語化しています。例えばランボーは、母音を色を持つものとして捉えて述語化しているわけです。これは個人的意識のレベルですから、私の見方では一番上のレベルです。もう少し深く下へと行きますと、だんだん無意識のレベルに入ります。このレベルは、動物のレベル、ないしは生物のレベルと呼べるでしょう。生物のレベルですから、これは生態系のレベルですね。もはや風土のレベルではありません。もっと深く潜ってみますと、生物のレベルですらなくなって、単なる物理学のレベル、つまり地球のレベルに到達します。

 ちなみに、私の風土論においては、大ざっぱに言って三つのレベルが登場します。一番基本的なレベルは、物理学、あるいは地球科学的なレベルです。これは「地球のレベル」でもあります。もう少し上の方に行きますと、この地球レベルにおける基盤が別の仕方で述語化されている。生物によって自分の生存の「かて」として述語化され、捉えているわけです。これは「生物圏のレベル」と呼べるでしょう。我々人間も、やはりこのレベルで存在しています。ただし、それは人類として、つまり単に動物として存在している場合に限られます。もう少し高度に述語化されたレベルが、「風土のレベル」です。この風土のレベルにおいて、他のレベルがなくなったわけではありません。他の基盤ももちろん必要です。つまり、「地球」「生物圏」「風土」のレベルが多層的に重なりあっている構造になります。

 21世紀の今日において、社会科学では、一般的に、自然と文化は対置され、対照的に捉えられています。さらに言えば、対立させられている、あるいは分離されている、とも言えます。けれども、今まで述べてきた、「述語化」という考えを通じて見ますと、自然と文化は同時にそれぞれの中に存在していると言いうるわけです。例えば、一人の人間としての私が、「わたし」という言葉を使うときは、自分の存在を「わたし」という言葉で述語化します。意識的に、私の身体を、言葉のレベルで捉えた上で、それについて何かを言おうとするのですね。例えば「私はフランス人である」というように、自分の存在を述語化します。これは意識のレベルにおいて起こることです。この場合人間の存在は、或るSとして存在すると同時に、或るPとして存在しています。Pはプレディケート、つまり述語です。私が「わたし」と言うときに―それは一つの言葉にすぎないのですけれども―それは、ここにある身体としての存在を、「わたし」として捉えるということを意味します。「何物かとして捉える」とは、基本的に、このような働きなのです。

 人間は最も複雑な存在です。人間は、肉体という基盤、生物という基盤という複数の基盤を同時に持って、さらに、自分についても言及する、言いかえると、自分についていろいろな表象を使ってプレディケートする、述語づけるのです。これは今申しましたように、人間独特の複雑な構造なのですけれども、これは生物の段階にも存在するような働きです。もちろん動物は言葉を使えないのですけれども、彼らは、彼らなりの仕方で世界を捉えているのです。例えば牛は自分なりの世界を持っています。その世界とは、もちろん言葉のない世界ですけれども、味や温度などはある世界なんですね。我々には牛の頭がどのように働いているかわかりませんが、ただ温度計のように機械的に反応しているのではなくて、やはり生きている存在として、その環境を感じ、自分なりに環境を捉えていると考えられます。ですから、基本的には人間と同じような働きを持っているわけで、その働きの原理は同じです。我々の思考は人間的なレベルで行われていますけれども、その基盤になっているレベルは、我々人間と動物はそれを共有しています。このような見方では、人間と動物は同じ共同体のメンバーとなります。人間と動物の関係については、ご存じのように、文化よってその見方は大分違います。宗教によっても、大きく異なります。例えば仏教とキリスト教では大分違うわけです。私が今論じている考え方は、余り近代的、ヨーロッパ的ではないのは事実です。

 私がこういうふうに考えるようになったのは、やはりまず和辻哲郎の『風土』を読んでから、さらにその後西田幾多郎の『場所』を読んでからのことです。もちろんそれだけではないですが―今、京都でお話をしていますので、西田や和辻の哲学を中心に論じていますけれども―彼らが私の風土の思想に大きな影響を与えたのは事実です。

 一つの例を申し上げましょう。和辻哲郎は『風土』という本の中の最初のところ―第一章ですが―そこで彼の基本思想を述べています。その箇所は『風土』という本でも一番難解なところなのですが、そこで彼は、留学のためにドイツへ行って、ハイデガーの『存在と時間』を読んだと述べています。彼は、ある面ではハイデガーから深い影響を受けたわけですが、別の面ではハイデガーに反発してもいます。彼のハイデガーに対する批判とは、『存在と時間』が余りにも時間を重要視しすぎていて、空間を軽視しているのではないか、というものです。ハイデガーが空間を時間ほど重視していないというのは事実です。和辻は、空間は時間と同じように大事である、具体的にいうと、歴史と風土は同じように大事であると主張します。和辻が風土を論じたのに対して、ハイデガーは風土論をやっていない。

 彼のような考え方は、やはり日本に現れた世界の捉え方ですね。私はもし日本に来ていなかったら、それを知るすべ、読むはずがなかったのです。けれども、そのような和辻哲郎の議論において、ハイデガーの表現がよく出てきます。例えばハイデガーの言う「脱自存在」がそうです。和辻哲郎は「外に出ている」という表現をよく使います。これは「脱自存在」に相当しますが、私は長い間、この表現を読んで、これは現象学の用語であるとしか思わなかった。具体的に何を意味するのか全然わからなかったのですけれども、ある日、ルロワ・グーランという人類学者の本を読んで、その意味がやっとわかりました。大体40年前に出た本なんですけれども、その本の主題は、人類の出現における技術と言葉の役割なんです。彼の基本的な見方は、技術体系と象徴体系は、もとは動物の体の中にあった機能を外部化したものだというものです。

 簡単な例を申し上げると、動物は歯で物をかみ切ったりしていますけれども、人間は歯が弱いから、石で物を切るようになりました。それが技術の始まりなのですが、石で物を切るというのは、身体の機能の一種の外部化ですね。そういう外部化がだんだん進んで、結局人間存在の一部となるわけです。外部化されるとは、人間という特別な種の存在の構造に組み込まれることをも意味するわけです。この「存在の構造」という考えは、ハイデガーの「脱自存在」に通じ、さらに和辻哲郎の「外に出ている」という考え方にも通じます。

 人間を個人と見るのは、近代の典型的なとらえ方です。ここでいう個人とは、物理的に存在している或る個人、目で対象を見て、身体として存在している個人です。けれども、和辻の人間のとらえ方は全然違います。「間」、「間柄」が人間と人間の間に存在するんですね。それは個人の身体の中に存在するのではなくて、その外に存在している。こういうように見ますと、和辻の考えは、ルロワ・グーランの人類学に見られるような人間存在の構造と通底するものがあるわけです。

 私は、哲学者ではありませんから、はばかりながら、ハイデガーからルロワ・グーランへ一足飛びに飛ぶことは怖くないのです。哲学者ならばやはりちょっと躊躇するでしょう。けれども、私は地理学をやっている者ですから、和辻の「外に出ている」という考え方と、ルロワ・グーランの「外部化」のような人間のとらえ方は基本的に同じだと思っています。これらの働きは、和辻のいう「人間存在の構造契機としての風土性」にほかならない。すると、今度は存在そのものが問題になりますが、終わりのない話ですので、一応ここで終わらせていただきます。

 ご静聴、どうもありがとうございました。

[→シンポジウム1]