21世紀COEプログラム

多元的世界における寛容性についての研究

京都大学大学院文学研究科
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■第15回研究会レジュメ

《報告1》

 2005年10月1日(土)
於:京都大学文学部新館


「宗教的多元性」の観点から見た現代韓国ウェルビーイング・ブームの分析

はじめに

 韓国統計庁の調査によると、二〇〇三年度における韓国の宗教人口は五三・九%(非宗教人口は四六・一%)に達する。その内訳は、仏教二五・四%、キリスト教プロテスタント一九・八%、カトリック七・四%、儒教〇・四%、円仏教〇・二%、その他〇・七%である。このように韓国では、特定の宗教を信じている人々が全国民の過半数を超え、かつ、様々な宗教が単一社会の中で混在する「多宗教の混淆的共存状況」にある。しかし、その内実を見てみると、韓国宗教界は主に、キリスト教陣営(プロテスタント・カトリック)と非キリスト教陣営(仏教・新宗教など)によって両分されており、決して諸宗教が寛容の精神によって平和的に共存しているわけではない。本報告では、近年韓国で大流行しているウェルビーイング・ブームをめぐる韓国宗教界の動向について分析しながら、グローバル化によって現出される世俗的公共圏の中で宗教的多元性はどのように保持されるかという問題について論じてみたい。



一、現代韓国社会におけるウェルビーイング・ブーム

(一) 欧米におけるウェルビーイング(Well-being)とロハス(LOHAS)消費者層
近年、アメリカをはじめとする欧米社会では、‘Well-being’や‘Wellness’に対する関心が高まっている。これと関連して、アメリカでは、新しいライフスタイルを追求する消費者層としてロハス(LOHAS:Lifestyle of Health And Sustainability)なる概念が提唱されている。この用語は、アメリカの社会学者ポール・レイと心理学者のシェリー・アンダーソンらの研究をもとに、Natural Marketing Instituteなどの研究機関がマーケティングの観点から命名したものである。ロハスとは、「健康や環境、社会正義、自己実現やサステナブル(持続可能)な暮らしを重視する消費者」のことであり、それには次の五つのマーケットがあるとされる。@持続可能なエネルギー(Sustainable Economy:省エネ商品、代替エネルギー、グリーン都市計画等)、A健康な生活(Health Living:オーガニック、自然食品、サプリメント等)、B代替療法(Alternative Healthcare:自然治療、はり治療等)、C自己発展(Personal Development:ヨガ、フィットネス、能力開発等)、Dエコロジカルなライフスタイル(Ecological Lifestyles:環境配慮住宅、リフォーム、家庭用品等)である。ロハス層はすでに、アメリカで六八〇〇万人(全成人人口の約一/三)、ヨーロッパで八〇〇〇万人以上に達すると言われ、その市場も二〇〇〇年には二三〇〇億ドル規模に達し、その額は毎年増加傾向にあるとされる。

(二)現代韓国におけるウェルビーイング・ブームの展開
 韓国でも今、ウェルビーイングが大流行している。韓国の街では、「ウェルビーイング・フード」「ウェルビーイング化粧品」「ウェルビーイング洗濯機」「ウェルビーイング住宅」「ウェルビーイング旅行」等の単語が氾濫し、今や健康・美容・建築・食飲料・家電産業・レジャー文化等、韓国のあらゆる産業界全般にウェルビーイングが浸透している。しかし、このように韓国社会全体を席捲しているウェルビーイングも、もともとは欧米の文化トレンドとして入ってきたものである。韓国では、二〇〇一年頃から外国ライセンス系の女性雑誌がアメリカで流行する新しいライフスタイルとしてウェルビーイングの紹介を行い始めた。これが契機となって健康・美容界を中心にウェルビーイングなる用語が広まり始め、二〇〇三年後半期には韓国社会全般に定着するようになった。その背景には、飽食ぎみの食生活による肥満や成人病の増加、週休二日制や核家族化に伴うライフスタイルの根本的変化、狂牛病・鳥インフルエンザなどのグローバル疾患に対する予防など、韓国が先進国並の社会問題を抱えるようになった事実が存在する。こうして韓国においても、現代社会の諸問題を克服する新しい精神的価値観やホリスティックな健康観が追求されるようになり、その文化コードとしてウェルビーイングが大きな脚光を浴びるようになったのである。

(三)韓国ウェルビーイング・ブームの特色
 韓国ウェルビーイングの内容は、「スローライフ、エコロジー、癒し(治癒)、インナービューティー」などをキーワードにしているように、アメリカのロハス層が提唱する新しいライフスタイルと完全に一致する。そのために、韓国のウェルビーイング・ブームは、欧米と同様の特徴を持っている。すなわち、それは、心と身体が調和したホリスティックな健康と地球環境を重視するエコロジカルな価値観を追求する一方で、個人の商品購買傾向を規定する一種の消費運動として展開されるという点である。アメリカのロハスは「エコ(エコロジー)」と「エゴ(エゴイズム)」を同時に内包するものであるが、この相反したアンビバレントな二面性は、韓国のウェルビーイング・ブームにも顕著に見られる。韓国のウェルビーイング消費者たちは、ヨガやフィットネスを楽しみながら高い有機農食品を好むというように、精神的な側面よりはむしろ物質的な豊かさを追求する傾向がある。韓国のウェルビーイングは、健康やエコロジーを重視する一方で、生活の高級化・差別化を志向する利己的で個人主義的な消費運動の側面を同時にもっているのである。



二、現代韓国ウェルビーイング・ブームと宗教的多元性

(一)韓国宗教界におけるウェルビーイングの受容
 ウェルビーイングは、今や韓国社会を席捲する一大流行トレンドとなっている。そのために、韓国宗教界もこの流行に敏感に反応し、それに便乗しようとする傾向が見られる。韓国の宗教界は、キリスト教陣営と非キリスト教陣営に大きく二分されるが、この両陣営とも世俗的な消費運動であるはずのウェルビーイング・ブームに肯定的な反応を示しているのである。まず、仏教界(既成仏教教団や仏教系新宗教)は、ウェルビーイングの中に「瞑想」「心の平和」などの要素が含まれることから、このブームに積極的に同調する態度を見せている。また、最近登場し始めている各種のニューエイジ系団体や気・ヨガ修練団体も、「物質文明から霊的文化の時代へ」というスローガンのもとにこの用語を積極的に利用する傾向が見られる(例えば、韓国の代表的なニューエイジ団体である精神世界院では、二〇〇四年一月から機関誌名を『月刊精神世界』から『月刊ウェルビーイング・ライフ』と改名した)。一方、キリスト教陣営も、ウェルビーイング・ブームに肯定的な反応を示している。例えば、チェインゴル『本当のウェルビーング−聖書的な全人健康の話−』(二〇〇四年)など、ウェルビーイングを冠した各種キリスト教書が数多く刊行されている。このように韓国宗教界は、みなウェルビーイング・ブームに肯定的な反応を見せるばかりではなく、むしろその流行トレンドに積極的に便乗しようとする姿勢を見せている。

(二)宗教的寛容とウェルビーイング・ブーム
 このような韓国宗教界におけるウェルビーイング・ブームの浸透は、一見すると韓国宗教界の融和と対話を促進しているように見える。例えば、教理上の差異から対立的な関係にあった仏教とキリスト教が、ウェルビーイングという新しいライフスタイルの提案に対して共通した反応を見せている。このように、これまで単なる多宗教の雑多な混淆的共存状態にすぎなかった韓国宗教界が、ウェルビーイングという共通の時代要請のもとで宗教多元主義を現出し、その共通の土台の上で宗教間対話や協力が行われているように見られる。
 しかし、これはあくまでも表面的な印象に過ぎない。韓国のウェルビーイング・ブームの中では、他宗教への理解と共存を目指す真の寛容精神にもとづいた宗教間対話は行われ得ないというのが実情である。仏教界がウェルビーイングに共感を示すのは、瞑想や自然との調和という仏教的な教理を現代的に宣伝するための戦略としてである。また、キリスト教の指導者たちが著したウェルビーイング本を見てみると、その内容は従来の福音主義的な保守主義神学の繰り返しであり、むしろ最新の流行語を取り入れることによって人々の関心を惹き、宣伝効果をあげようとしているだけのように思われる。それらは、ウェルビーイングという流行タームの単なる争奪戦であり、宗教的寛容性の創出とは全く無関係のものであると言えよう。
 韓国におけるウェルビーイング・ブームの隆盛は、アメリカを中心とするグローバル化の影響を受けたものである。このようなウェルビーイングの世界的な拡散は、グローバル化による公共圏の登場を促す。この公共圏の中に、多宗教の混淆的共存という韓国社会の特殊性が反映され、一種の宗教的多元性が状況的に現出されるように見える。しかし、それは、グローバル化によって創出された新たな公共空間の争奪を目指すものであり、多元主義的な寛容の精神にもとづくものではない。ウェルビーイング・ブームは基本的に経済的合理化・高度情報化によって進展する世俗的なグローバル空間の中で展開される消費トレンドであり、そのような世俗的な公共空間の争奪戦からは宗教的な寛容は生まれてこないのである。
                                                    

    (さっさ みつあき・立命館大学文学部助教授/キリスト教学)


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