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Newsletter No.5

2004年9月14日発行

目次

●第6回VAADA研究会・若手研究者の会開催の報告
●研究発表(要旨)
1.「Vaidalyaprakaraṇaにおける「自相続転変差別」について」津田明雅(京都大学大学院修了)
2.「推理論をめぐる仏教徒とジャイナ教徒の対論-因果関係の確定方法とタルカの関係性-」志賀浄邦(日本学術振興会特別研究員)
●編集後記

第6回VAADA研究会・若手研究者の会開催の報告

  去る6月28日(月)の12時30分~14時30分に、VAADA研究会に所属する若手研究者を中心とした研究会を開催しました。その際行われました研究発表題目、及び発表者は以下の通りです。
1「インド後期密教文献にみる四大学派(顕教)と真言理趣(密教)」大観慈聖(仏教学・博士課程)
2 「再生に到る成就者についての引用句について」八木綾子(サンスクリット文学・博士課程)
3 「Vaidalyaprakaraòaにおける「自相続転変差別」について」津田明雅(仏教学・博士課程修了)
4「推理論をめぐる仏教徒とジャイナ教徒の対論―因果関係の確定方法とタルカの関係性―」志賀浄邦(日本学術振興会特別研究員)
5「『漸悟修習次第義』に示される頓門派についての一考察」赤羽律(VAADA研究会教務補佐員)
 各研究発表とも大変興味深いものであり、出席したメンバーから多くの質問が出され、議論が白熱する一幕もありました。その結果、本研究会補佐員赤羽の発表は割愛せざるを得なくなってしまいました。また、参加者から提出された新たな意見により自らの発表を再度考察する必要が出てきた、或いは7月末には日本印度学仏教学会が東京の駒澤大学で開催され、その発表準備などに時間を割かざるを得なかった発表者も多かったため、Newsletter用にお願いしていました要旨が全てそろうということになりませんでした。そこで、今回のNewsletterにおきましては、今回発表をされた方のうち、津田明雅さん・志賀浄邦さんの発表要旨二点のみを掲載いたします。残りの発表者の発表要旨につきましては、次号以降に順次掲載させてもらうつもりでおりますのでご了承ください。

研究発表(要旨)

(注)IEでは特殊文字が文字化けする場合があります。その際には、他のブラウザ(Opera, Netscapeなど)をご使用ください。

●「Vaidalyaprakaraṇaにおける「自相続転変差別」について」

津田 明雅(京都大学大学院修了)


 ピント氏はVaidalyaprakaraṇa(VP) のナーガールジュナ作を否定する(Pind, O. H. (2001).)が、同氏の論文中、第19--20項でその最大の根拠が述べられる。そこで問題となるのは、VP第57節(ピント氏はこれを「第58節」としているが、「第57節」の誤りである)中のraṅ gi rgyud yoṅs su 'gyur ba'i khyad par(=*sva-saṃtāna-pariṇāma-viśeṣa)という一節である。本稿では、この根拠の妥当性を検証してみたい。
 ピント氏の所説を簡単に紹介すると、VPの著者は、似因(hetv-ābhāsa)が存在しないことを主張する議論のなかで、ābhāsaの性質をsaṃtāna-pariṇāma-viśeṣaという経量部の概念をもって説明する。これは中観派の著作では全くありえない説明の仕方である。そもそも、ナーガールジュナが経量部の「心相続(citta-saṃtāna)」という概念を知っていたことは『中論』XVII-9からも明らかであり、そこではそれが反論者の主張とされているのであるから、彼が経量部の説を採用することはありえない。デルゲ版ではraṅ gi rgyud yoṅs su 'gyur ba'i phyir khyad parとなっているが、これは誤訳で、翻訳者はこの概念を理解していなかったのであろう。またこの概念は、ヴァスバンドゥの『倶舎論』におけるIII-44bやIV-58dに対する注釈部分に、関連した記述がみられる。したがって、VPはナーガールジュナの著作ではありえない。以上がピント氏の主張である。
ではまず、この部分のテキストの読みをあらためて検討してみる。ピント氏が誤訳とした、デルゲ版の読みを採るのは、梶山氏とトーラとドラゴネッティ両氏である。
raṅ gi rgyud yoṅs su 'gyur ba'i[phyir]khyad par khams mi mñam pa ñid las mi ñams pa 'am / khams mñam pa las de'i blo ni śes pa ñid yin pa ltar / yoṅs su brtags na gtan tshigs ltar snaṅ ba źes bya ba cuṅ zad yod pa ma yin no / (Tola, F. and Dragonetti, C. (1995) pp.45.30--46.3.)

[phyir]を採用する梶山氏とトーラとドラゴネッティ両氏の現代語訳を次に挙げると、
「[ものは各瞬間に生滅しながらも] それ自身の流れとして発展するから、[金なら金という]特定の要素はそれと別なものとは異なっているし、同じ要素によってその[要素だという]知識が知られるように、よく吟味すれば、誤った理由(理由に似て非なるもの)というようなものはなんらないのである。」(梶山雄一, 瓜生津隆真 (1974) p.219.12--15.
As for [the hypothesis of] the transformation of a self-dependent [entity], [this one] cannot be destroyed through peculiarities unequal to its basis, or the representation of that [self-dependent entity], [produced] out of [peculiarities] equal to its basis, is indeed the cognition of it. Likewise after due examination the so-called `mere appearance of a reason' does not exist at all. (Tola, F. and Dragonetti, C. (1995) p.86.21--27.)

 梶山氏とトーラとドラゴネッティ両氏はraṅ gi rgyud yoṅs su 'gyur ba'i phyirを*sva-saṃtāna-pariṇāma-という複合語として解釈し、 以下のkhyad par khams mi mñam pa ñid lasとは区別している。しかし、khams mi mñam pa ñid lasの部分は、例えばピント氏が想定するように*dhātu-vaiṣamyātとして、後ろのkhams mñam pa las(=*dhātu-sāmyāt)と、反意語として対応すると考えられるため、そうなるとkhyad parは後ろの部分とは結びつかないことになる。その場合、khyad parは副詞として単独で働くか、直前の複合語に組み込まれるか、のいずれかである。しかし、前者の場合、文脈上の意味がうまくとれないし、第一、sva-saṃtāna-pariṇāma-という複合語は非常に特殊な術語であり、後述するように、必ずviśešaを伴う。つまりこの複合語の特殊性を考慮すると、raṅ gi rgyud yoṅs su 'gyur ba'i phyirkhyad parは併せて、*sva-saṃtāna-pariṇāma-viśeṣaという複合語を訳したものと考えられるのである。その場合、phyirの扱いが問題となるが、ピント氏のようにチベット訳者の誤訳ととって北京版の読み(phyirを欠く)に従うか、あるいは、多少無理があるが、複合語末の格を反映したもの、つまり例えば従格(Ablative)を訳したものととるほかなさそうである。したがってこの部分には、次の2通りのサンスクリットが想定される。
sva-saṃtāna-pariṇāma-viśeṣo [dhātur] dhātu-vaiṣamyād anupahato dhātu-sāmyād vā tasya buddhir eva jñāyate / tathā ..... 「[ある要素は]自身の流れとして特殊に展開するものであって、要素の異質性からは損なわれないし、あるいは要素の同質性からそのものの知識が知られるように、……」

[dhātoḥ] sva-saṃtāna-pariṇāma-viśeṣād dhātu-vaiṣamyād anupahato dhātu-sāmyād vā tasya buddhir eva jñāyate / tathā ..... 「[ある要素は]自身の流れとして特殊に展開するから、要素の異質性からは損なわれないし、あるいは要素の同質性からそのものの知識が知られるように、……」

 先に特殊な術語と述べたが、『唯識二十論』にはこれと全く同じ複合語がみられる。それは、ヴァスバンドゥの識転変(vijñāna-pariṇāma)説が完成される過程で生み出された、特殊な術語である。以下では、この術語をめぐる一連の過程を辿ってみることとする。
 まず「変化、展開(pariṇāma)」という概念に関して、服部正明氏は、「「変化」(pariṇāma転変)はサーンキヤ学説を特色づける概念で、ヴァスバンドゥはこの概念をサーンキヤ学派から採用したと考えられる。『唯識三十頌』の注釈には、識の「変化」がサーンキヤ体系における「変化」とは異なることが強調されているが、そのことはこの概念の起源がサーンキヤ学派にあることを示しているように思われる」(服部正明 (1976) p.5.14--16.)と述べる。このサーンキヤの「変化」に関しては服部氏の説明(ibid. esp. pp.6.4, 7.1--7.6.)に譲るとして、ヴァスバンドゥはこの「変化」の概念と、経量部の生み出した「種子(bīja)」の説とを受け、『倶舎論』で、「存在要素の流れの特殊な変化(saṃtati-pariṇāma-viśeṣa)」によって種子の現勢化を説明する(ibid. p.11.8--10.)。ただ、「種子は、サーンキヤ体系における純質・激質・翳質のように、さまざまな現象形態をとりながら基体的に存続するものではなく、機能する心の習気として生ぜられるものであり、そして現勢化した次の瞬間には消滅するものであるという点において、経量部の変化説はサーンキヤ説と異なっている」(ibid. p.11.16--18.)という。つまり、経量部説には刹那滅という仏教側の思想がみられる。この「存在要素の流れの特殊な変化」は『成業論』で唯識説化が始まり、『唯識二十論』を経て、『唯識三十頌』において「識転変」説となるという(横山紘一 (1982) pp.121.2--123.17.)。
 こうした思想の変化を具体的な術語の変遷でみていくと、「転変」の概念はサーンキヤに由来し、それが刹那滅を伴った「相続性」と結びついた「相続転変」が、説一切有部の『大毘婆沙論』にみられる(ibid. pp.117.5--118.11.)。次いで「相続転変差別 (saṃtati-pariṇāma-viśeṣa)」が『大乗荘厳経論』の[古]ヴァスバンドゥ注にみられ、また同じ語が[新]ヴァスバンドゥの『倶舎論』において、経量部の説として出てくる。この「相続転変差別」は『成業論』にもみられる。さらに、『唯識二十論』では「自相続転変差別(sva-saṃtāna-pariṇāma-viśeṣa)」という表現がみられる(ibid. pp.119.10--123.17.)。これらの「相続」に相当する語が『唯識二十論』以前では、確認できる限り、saṃtatiであるのに対し、『唯識二十論』ではsaṃtānaとなっていることには注意を要するし、また『唯識二十論』内部でvijñāna-saṃtāna-, vijñāna-pariṇāmaḥ, citta-saṃtati-, sva-bījāt pariṇāma-viśeṣa-prāptād, saṃtānāntara-vijñapti-viśeṣāt(Lévi, S. (1925) pp.5.13, 5.14, 5.20--5.21, 5.27--5.28, 9.22.)などと用語に揺れがみられることにも留意したい。これらは、「自相続転変差別」が『唯識二十論』独自の表現であることを、支持する根拠となろう。
 こうした変遷を考慮すると、問題の個所の複合語は*sva-saṃtāna-pariṇāma-viśeṣaであって、*sva-saṃtāna-pariṇāmaと*viśeṣaは分離されるべきでないことが分かる。さらに『唯識二十論』での「自相続転変差別」は、経量部説がすでに唯識化したもので、しかも思想的に過渡期のものであるから、『唯識二十論』独自の術語である可能性が高い(加藤氏は「相続転変差別」をもヴァスバンドゥの創見であるとする。加藤純章 (1989) pp.255.6--7, 259.12--13.本書の紹介その他有益なご指摘を、上野康弘氏(京都大学大学院)より頂いた。お礼申し上げる)。それゆえ、問題の個所は『唯識二十論』からの借用と考えるのが最も妥当であろう。
 つまり結論として、問題の個所の読みは*sva-saṃtāna-pariṇāma-viśeṣād(あるいは*sva-saṃtāna-pariṇāma- viśeṣo)であり、この個所は『唯識二十論』以後に著された可能性が高いといえる。したがって、ピント氏のいうこの根拠はまさに偽作を決定づけるものといえよう。それはつまり、少なくともVPの注釈部分のナーガールジュナ作が否定されるということである。ただし、ピント氏はこの術語を経量部のものとしているが、正確にいえば、すでに唯識化したものである。一方で、この術語を用いたVP注釈部分の著者に関しては、その内容から中観論師と考えられることから、これを唯識説としてではなく、むしろ経量部説と誤解して用いたとも考えられる。

参考文献

Lévi, S. (1925):Vijñāptimātratāsiddhi Deux Traités de Vasubandhu Viṃśatikā (La Vintaine) Accompagnée d'une Explication en Prose Et Triṃśikā (La Trentaine) avec le Commentaire de Sthiramati, 1, Paris.
梶山雄一, 瓜生津隆真 (1974):『大乗仏典 14 龍樹論集』, 中央公論社, 東京.
服部正明 (1976):「識の変化」,『東洋学術研究』, 15-1, pp.1--17.
横山紘一 (1982):「世親の識転変」,『講座大乗仏教 8 唯識思想』, 春秋社, 東京, pp.113--144.
加藤純章 (1989):『経量部の研究』, 春秋社, 東京.
Tola, F. and Dragonetti, C. (1995):Nāgārjuna's Refutation of Logic (Nyāya): Vaidalyaprakaraṇa: Źib mo rnam par 'thag pa źes bya ba'i rab tu byed pa, Buddhist Tradition Series, 24, Delhi.
Pind, O. H. (2001): ``Why the Vaidalyaprakaraṇa cannot be an authentic work of Nāgārjuna'', Wiener Zeitschrift für die Kunde Südasiens, 45, pp.149--172.

●「推理論をめぐる仏教徒とジャイナ教徒の対論-因果関係の確定方法とタルカの関係性-」

志賀 浄邦 (日本学術振興会特別研究員)


はじめに 遠くの山に立ち昇る煙を見て、その煙のもとに火が存在することを推理する場合、その火の認識はいかにして決定されるのであろうか。また、その煙と火の関係性はいかなるものであり、どのような手段によって把握されるのか。インド論理学史において、煙と火等の必然的関係つまり遍充関係(vyāpti)の把握方法の問題は、種々の学派によって議論の対象とされた。
 ジャイナ教もまた遍充関係の把握方法について明確な主張を展開した学派の一つである。Akalaṅkaを始めとするジャイナ教徒たちは、推理とは別に、tarka (論理的思考)あるいはûha (熟慮)を、遍充関係を把握・決定するための独立した認識手段として設定することにより、独自の理論体系を築き上げた。本稿の目的は、Dharmakīrtiの創始した遍充関係の把握方法―特に因果関係の確定方法―と、ジャイナ教徒の主張する「タルカ」の関係性を探ることである。
仏教徒の因果関係の確定方法 Dharmakīrtiは、因果関係は「直接知覚と非認識」あるいは「存在を証明する認識手段と非存在を証明する認識手段」によって決定されると定義した。(HB 4,2; SP 16cd; VN 3,19-4,2) そしてその後、因果関係の決定に必要な認識の回数に関して註釈者たちの間で見解の相違が生じる。すなわち、仏教内部で、因果関係の決定には少なくとも五種の認識が必要であるという理論と、三種の認識があれば事足りるとする理論の対立が起こったのである。ここでそれぞれの理論の概要を簡単に述べておくと、まず、Dharmottaraを始めとする五種論者(Pañcakavāda)の見解とは,(1) 結果(煙)の非認識、(2) 原因(火)の知覚、(3) 結果(煙)の知覚、(4) 原因(火)の非認識、(5) 結果(煙)の非認識という五種の認識が必要であるというものであり、Jñānśrīmitraを始めとする三種論者(Trikavāda)は、(1) 原因・結果両者の非認識、(2) 原因の知覚、(3) 結果の知覚という三種、あるいは(1) 原因・結果の両者の知覚、(2) 原因の非認識、(3) 結果の非認識という三種かのいずれかによって因果関係は決定されるとする。
ジャイナ教のタルカ ジャイナ教徒によれば遍充関係は推理以前にûha (熟慮)あるいはtarka (論理的思考)によって把握されるとする。そしてそれらを推理とは別立てして正しい認識として認めている。以下簡略ではあるが、タルカがいかに定義され、いかなる思想的変遷・発展があったかについて考察したい。
 Akalaṅka (ca. 720-780)によれば、「タルカとは,直接知覚と非認識にもとづく可能性の認識である。(PSaṃ 12ab)」、また、「タルカとは、知覚・概念知・想起・反省によって結合関係を認識することであり、正しい認識手段である。(PSaṃV 100,7)」と定義される。以上の二つの記述からタルカは、(1)「直接知覚と非認識による」認識であるという点と、(2)「知覚・概念知・想起・反省による結合関係」の認識であるという二つの側面をもつことが明らかになる。
 Māṇikyanandin (ca. 993-1053)は、「熟慮とは,認識・非認識を原因とする遍充関係の認識である。[その認識の内容とは]これ(=能証)は,それ(=所証)が存在するときにのみ存在し、[所証が]存在しない場合[能証は]決して存在しないというものである。たとえば、火が[存在する]場合にのみ、煙が[存在]し、それ(=火)が存在しない場合、[煙は]決して存在しないというように。(PMukh 3.11-13)」と定義する。Māṇikyanandinの定義においては、Akalaṅkaにおいてsambhavapratyaya (可能性の認識)とされていた部分がはっきり「遍充関係の知」と表現される。Akalaṅkaの定義とは若干の相違が見られるが、内容的に両者はほぼ同じであると見てよい。一方、Akalaṅkaの記述の(2)の側面が定義に盛り込まれていない点は言及しておくべきであろう。
 Vādidevasūri (ca. 1086-1130)によるタルカの定義とは、「タルカとは、認識・非認識によって生じ三時にわたって存在する所証と能証の結合関係等をその対象とし、『それはこれが存在する場合にのみ存在する』等といった形をもつ認識である。例えば『ある限りの(yāvān)或る煙は全て、火が存在する場合にのみ存在し、それ(火)が存在しない場合には決して存在しない』というように。(PNT 3.7-8)」というものである。この記述は、Akalaṅkaの定義の二つの側面を両方盛り込んだものとなっている。つまり,タルカの対象は「三時にわたって存在する所証と能証の結合関係」であると明示されていることから、結合関係の認識にタルカに先行する直接知覚・想起・再認識も含まれていると考えられる。以上から、Vādidevasūriの段階でジャイナ教のタルカの定義は完成に至ったといえよう。また、PNTのこの定義は、Guṇaratna (14-15世紀)の時代においてもほぼ同じ形のままで伝承されていることは付言しておくべきであろう。(TRD 323,6f)
 上に見たように、仏教徒の因果関係の確定方法と、ジャイナ教の遍充関係の把握方法であるタルカの定義を比較すると、「直接知覚と非認識にもとづく認識」であるという共通点が浮かび上がって来る。異なる点としては、仏教徒が「直接知覚と非認識」という認識手段を結果の証因の際の遍充関係の確定の場合のみに適用しているのに対し、ジャイナ教徒は、遍充関係全般に適用している点が挙げられる。また、ジャイナ教徒は直接知覚と非認識の必要回数を具体的には明記していない。(Cf. SVR 500,124-501,4) このような相違点はあるものの、両者の表現上の一致は、二つの学派間に何らかの影響関係があったことを示唆しているとはいえないであろうか。
Vādidevasūriの見解 Kajiyama[1963]において、ジャイナ教の論理学者たちもまた、仏教徒の因果関係の確定方法を紹介していることが報告されている。その中でVādidevasūriは、仏教徒の五種説を紹介するにとどまらず、この理論に対してジャイナ教の立場からの批判を加えている。その批判のポイントをまとめておくと、(1) 直接知覚にしても,直接知覚を本質とする非認識にしても、知覚であることには変わりなく、その対象は近接したものに限定される。よって場所や時間によって隔てられた全ての存在を対象とすることはない。よって、直接知覚と非認識によっては因果関係を決定することはできない。(2) 直接知覚には対象を吟味する機能がない。つまり「特定の煙があらゆる場所・時間において火から生じ、その他のものから生じることはない」という普遍的関係の認識は不可能である。(3) 直接知覚は全ての場合を包括することによる遍充関係を把握することができない。さらに直接知覚の後に生じる概念知も、直接知覚によって把握された対象を判断するにすぎないから、全ての場合を包括する遍充関係の把握は不可能である。以上の点からも、ジャイナ教徒が,普遍性をもつ遍充関係という対象に対応した形で、直接知覚・非認識とは別の新たな認識手段としてタルカをその推理論の中に組み入れた理由が明らかになった。
Vādirājasūriの見解 Kajiyama[1963]のAppendix 9に挙げられる、Vādirājasūri (ca. 1025)の紹介する仏教説(三種と五種の折衷説)を検証した結果,新たな事実が浮かび上がってきた。注目すべきは、Vādidevasūriとは異なり仏教説を取り入れようとする姿勢が見て取れることである。該当箇所はNVin 327abの注釈部分の一部であるため、このNVinの偈の作者Akalaṅkaの見解も考慮に入れつつ考察を加える。Akalaṅkaは、「もし、直接知覚と非認識にもとづいて真実(=因果関係)が理解されるならば (NVin 327ab)」と述べた後に、同じ偈の後半で「そのこと(=直接知覚と非認識)にもとづいて、どうして他のあり方では成立しえないことが理解されないだろうか (NVin 327cd)」と述べている。これはいかなることを意味するのか。NVin 327abにおける「直接知覚と非認識」は注釈の情報から、仏教徒が因果関係確定のために用いる「直接知覚と非認識」であると同定できる。そして、その同じ方法にもとづいて、遍充関係と同義の「他のあり方では成立しえないこと(anyathānupapannatva)」を把握することが可能であると主張しているのである。以上のことから、Akalaṅkaが仏教徒の因果関係の確定方法を自らのタルカ論にも取り入れたという事実が明らかになった。
 一方でVādirājasūriは、Vādidevasūriと同じ論法を用いて、遍充関係を把握する以上それを対象とする別の認識手段が必要になると主張している。(NVinVi 2.185,12f) Vādidevasūriの批判と異なる点としては、(1) 直接知覚・非認識による因果関係の確定方法が、同一性の証因においても適用可能であるとし、遍充関係の把握方法の統一を図っている。(NVinVi 2.185ff)、(2) 因果性や同一性の認識が、そのまま結合関係すなわち遍充関係の認識を意味するのでなく、遍充関係が普遍性をもつ以上、その認識には、排除の認識(vyavacchedaparijñāna) つまり他のものの排除による認識が最重要である。(NVinVi 2.185,9f) という二点を挙げることができる。
まとめ Dharmakīrtiは、「直接知覚と非認識」の組み合わせによって因果関係が確定されると規定した。一方で、Akalaṅkaを始めとするジャイナ教徒たちは遍充関係を把握する手段としてタルカを独立した認識手段と規定し、それを (A)「直接知覚と非認識にもとづく認識」(B)「知覚・概念知・想起・反省によって結合関係を認識すること」(Akalaṅka) (C)「三時にわたって存在する所証と能証の結合関係等をその対象とする」(Vādidevasūri, Guṇaratna) などと定義する。仏教徒の定義とジャイナ教徒の定義(A)に表現上の一致が見られることは一見して明らかであるが、これが偶然の一致ではないことが、AkalaṅkaのNVinにおける記述とそれに対するVādirājasūriの注釈によって判明した。すなわち、Akalaṅkaがタルカ論を構築する際に仏教説を容認し、さらにそれを取り込んだ痕跡をトレースすることができたと考える。ここにDharmakīrtiからAkalaṅkaへの強い思想的影響関係を見て取ることができる。しかし一方で、ジャイナ教徒は仏教説を採用しつつも自身の立場、つまりタルカという独立した認識手段を立てることの独自性・妥当性を主張すべく、直接知覚は、時間的・空間的にかけ離れた事物を対象とすることができないこと、遍充関係は普遍的なものでありそれを対象とする認識手段として非認識を含む知覚とは別の認識手段が必要となる等の理由で仏教説を批判するのである。

― 略 号 ―

HB: Hetubindu (Dharmakīrti). Nvin: Nyāyaviniścaya (Akalaṅka). Mahendra Kumar Jain (ed.), Ahmedabad-Calcutta, 1939. NvinVi: Nyāyaviniścayavivaraṇa (Vādirājasūri). Mahendra Kumar Jain (ed.), 2vols., Varanasi 1949, 1954 (repr. in Delhi 2000). Pmukh: Parīkṣāmukhasūtra (Māṇikyanandin). Mahendra Kumar Jain (ed.), Bombay 1941. PNT: Pramāṇanayatattvāloka (Vādidevasūri). See 宇野[1997]. Psaṃ: Pramāṇasaṃgraha (Akalaṅka). See NVin. PsaṃV: Pramāṇasaṃgrahavṛtti (Akalaṅka). See PSaṃ. SP: Sambandhaparīkṣā (Dharmakīrti). SVR: Syādvādaratnākara (Vādidevasūri). L. Motilal (ed.), Poona 1926-1930. TRD: Tarkarahasyadīpikā (Guṇaratna). Mahendra Kumar Jain (ed.), Bombay 1944. VN: Vādanyāya (Dharmakīrti).

― 参 考 文 献 ―

Bagchi[1953]: S. Bagchi, Inductive Reasoning, A Study of Tarka and Its Role in Indian Logic, Calcutta 1953.
藤永[1993]: 藤永伸, 「ジャイナ教の思択」, 『印度学仏教学研究』41-2, 1993, 1059-1062.
Kajiyama [1963]: Yuichi Kajiyama, Trikapañcakacintā, Development of the Buddhist Theory on the Determination of Causality, 『インド学試論集』IV-V, 1-15, 1963.
SVinṬ intro.: The English introduction by Mahendra Kumar Jain in Siddhiviniścayaṭīkā.
宇野[1997]: 宇野惇,「『プラマーナ・ナヤ・タットヴァーローカ』―和訳と解説―(3)」, ジャイナ教研究 3, 1997, 1-24.

以上

編集後記

今回初めて開催しました第6回VAADA研究会(若手研究者の会)は、研究会終了後、発表された方々からも非常に有意義なものであったという感想を頂きました。今後も、できればこのような研究会を開催できればと考えております。ただ、発表要旨の原稿を待つうちにNewsletterの発刊が遅れた点に関しましては、重ねてお詫び申し上げます。また、この間、8月23日から28日までオーストリア科学アカデミー研究員のDr. Birgit Kellnerさんをお迎えして講演会・研究会を開催しました。この講演会には、お忙しい中遠方より40名を越える多くの方々にご出席いただきました。その後、6日間にわたり開催された連続研究会では、インドにおける仏教論理学派の巨匠DharmakīrtiのPramāṇaviniścayaの第1章を、新たに発見されたサンスクリット写本の情報を用いて読解し、彼の思想変遷の一端を明らかにしました。この連続研究会には、他大学からも多くの若手研究者に出席していただき、出席者の英語の発表をもとに活発な議論が展開されました。その報告等につきましては、次回のNewsletterにて報告させていただく予定でおります。
 今後とも、皆様のご支援とご協力を宜しくお願いいたします。


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